春香Pの雑記

アイマスのこと、書評、日記など。

イギリスの名門校の寮生活にノブレス・オブリージュを学ぶー読書感想『自由と規律ーイギリスの学校生活』池田潔

 

自由と規律―イギリスの学校生活 (岩波新書)

自由と規律―イギリスの学校生活 (岩波新書)

  • 作者:池田 潔
  • 発売日: 1963/06/01
  • メディア: 新書
 

イギリスの私立中高にあたる、パブリックスクールに通った筆者の経験がつづられている。

この本を読んで私が感じた感覚は、ファンタジーを読む感覚にほど近い。厳しい規律の中での寮生活、それが私が過ごしてきた中高時代とあまりにもかけ離れているが故だろう。ハリーポッターホグワーツがまさに似たシステムであり、ハリーポッターの世界をそこに感じ取っているのかもしれない。パブリックスクールが有する独特の伝統や貴族性、生活スタイル。経験的に獲得されてきたのだろうそれらの特徴は私にとって非現実であり、同時に魅力的だ。

 いくつか印象に残った箇所について触れたい。筆者はパブリックスクールで「個人より集団を重視する」感覚が養われていることを強調する。私はむしろ、日本の方がよりこの傾向を持っており、イギリスは個人主義的傾向が強い、というようなプロトタイプを持っていた。しかし、イギリス的「和をもって尊しとなす」的感覚の裏には、経験論に基づく確信があるのであって、曖昧なものではなく、厳格な制度によってそれが植え付けられているのだろうと感じた。

 筆者が肯定的に述べている『ノブレス・オブリージュ』の精神、一次大戦での逸話も一考に値する。これは自らの道義的責任を自覚し、積極的に貢献をしようとする姿勢につながっている。古く遡れば宗教的伝導の使命感に通ずるものがあるのかもしれない。こうした感覚は今の日本人には全く欠けている感覚だ。これは二次大戦の「大東亜共栄圏」的発想への反省・反動によるものが大きいように思われるが、極端に舵を取りすぎている面がないだろうか。道義性、質等が自己利益のためのロジックにならないよう注意しながらも、こうした精神を育てていくことは今後の日本教育の大きな課題であろう。

ヨーロッパ旅行記4(プラハ、1/30)【共産主義博物館、旧市街広場、プラハ城、チェコビール】

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 1~3日目まではこちら。

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ベルリンを電車で出発し、約4時間。

21時過ぎにプラハに到着。夕食を食べることに。

チェコと言えば楽しみなのが、ビール!

ビールはドイツのイメージが強いかもしれないが、実はビールの消費量世界1位はチェコなのだ。大学1年の英語の授業でなぜか習い、いまだに覚えている知識である。

ということで、ビールと現地の料理を注文。

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 あっさりしていて、実に飲みやすい!写真ではわかりにくいが、このジョッキかなり大きく、500mlある。しかし、サラッと飲めてしまった。

 

翌日(1/30)、プラハを観光。

結論から言うと、2週間の旅の中でも最も美しく、気に入った都市がプラハであった。

 

まず、友人に教えてもらった共産主義博物館に向かう。第二次大戦前のナチスによるチェコスロヴァキアの併合から、ビロード革命民主化を達成するまでを時系列で解説している。

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赤い星とマルクス。なんともインパクトある始まりだ。
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ズデーテンランドをナチスドイツに割譲することが決められたミュンヘン会談。
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戦後、共産党政権へ。

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1968年の民主化運動であるプラハの春と、それを鎮圧するソ連軍戦車。
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ついに民主化を達成したビロード革命の解説と、笑顔のハヴェル大統領。
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共産主義政権下の市民の暮らしがよく分かる展示が数多くあり、チェコにとって、共産主義の時代が苦痛な時代であったことがよく感じられる施設であった。

 

次は旧市街広場へ向かう。

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道中、既に美しい。黒い建物は昔弾薬庫に使われていたこともあるのだとか。

旧市街広場。

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広場には歴史的な建造物がたくさんあり、とても美しい。なかでも、機械仕掛けの時計の前には多くの人が集まり、1時間ごとに動くその仕掛けを見ようとしていた。

 

しばらく広場の景色を楽しんだ後、最も楽しみにしていたプラハ城を目指す。その途中、カレル橋を通る。

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奥に見えるのがプラハ城。
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橋の欄干には像が像がたくさんある。よく晴れた青い空に、白い鳩がよく映える。
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橋の上で演奏をする人々。

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橋を渡り、しばらく歩くと目的のプラハ城に。

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このプラハ城、どうも世界一広い敷地を誇る城らしい。敷地内には教会や店など数多くの建物があり、まるでひとつの街のようである。

上の写真の建物は、現在大統領府として使われているとかなんとか。

 

敷地内に入るとまず目の前に現れるのが巨大な聖堂。そのスケール、ステンドグラスの美しさはヨーロッパでも随一なんじゃないだろうか。
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内部。空間がとても広い。

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ステンドグラスも光を受けて綺麗に発色している。
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後ろと横からそれぞれ1枚。写真に収めるのが大変なくらい大きく、立派な聖堂だった。f:id:hi-ho-p:20200228185921j:image

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完成まで実に600年を要したというが、それもうなずけるスケールだ。

 

次に訪れたのが旧王宮。

プラハ城の中ではあまり注目されないスポットのようだが、実は世界史好きにはたまらない場所がある。それが

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この窓だ。

ただの窓に見えるが、この窓で起こったとある事件「プラハ窓外投擲事件」をきっかけに、ヨーロッパ中を巻き込む宗教戦争が始まったのである。

なんとプロテスタントを信じる市民が、カトリックであるハプスブルク家の役人をこの窓から投げ落としたのだ。その後、事態は収拾がつかなくなり戦争へつながっていく…

興味のある方はニコニコ大百科の記事を読んでまた欲しい。ユーモアがあって面白いので是非。

dic.nicovideo.jp

早かれ遅かれ起こった戦争かもしれないが、いずれにせよこの窓を直接のきっかけに、歴史を変える大戦争が起こったと考えるとロマンがある。

ちなみに、この事件によって "defenestration"(窓から人・物を投げ落とす)という、とてつもなく使い道のない英単語が生まれたのも非常に面白い。

 

旧王宮を出て、黄金小道と呼ばれる通りへ。

黄金小道にはカフカが住んでいた家などがある。個人的に楽しかったのは、武器が大量に展示された武器庫のような場所だ。

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カッコいい!

甲冑や剣、鉄砲などが大量に展示されていて、少年心をくすぐられる感じがした。

 

黄金小道を通り抜けると、プラハの街並みを一望できる。

これが、最高の景色だった。

世界一美しい都市なんじゃないかとすら本気で思った。
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城を堪能したあとは、やはりビール!

このビールはブドヴァル。実は、バドワイザーはこのブドヴァルにあやかってつけられた名前だという。バドワイザーの元ネタ?らしい。
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バランスが極めてよく王道のピルスナービール、という感じ!

ブドヴァル、旅中で一番美味しいビールだった。

 

離れるのが名残惜しい、本当に美しい都市だった。もう一度行きたいなあ…

 

ウィーン編へ!

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ヨーロッパ旅行記3(ベルリン、1/29)【ブランデンブルク門、ベルリン大聖堂、ベルリンの壁など】

 

 1日目はこちら。

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 2日目。

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飛行機でイスタンブールを経ち、ベルリンへ向かう。

1/28の22時ごろに到着し、とりあえずホテルで一泊。

 

翌1/29、ベルリンを観光。

まず驚いたのは、ベルリンの駅に改札が存在しなかったこと。これはどうもヨーロッパではポピュラーらしい。切符は時間制で、一定時間以内なら乗り放題。乗客は切符を購入して打刻し、持ち歩く必要があるが、それがチェックされる場はない。ただし、時々切符をチェックする職員が車内などにやってきて、その時に切符を持っていない・打刻忘れをしている場合、問答無用で罰金を払わせられるのだとか。

 

まずこの日見たのは、国会議事堂。

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ドイツ国旗・EUの旗とともに、イスラエル国旗がはためいていた。最初なぜだか理由がわからなかったが、どうもアウシュヴィッツ解放から75年の節目であるかららしかった。そのため、ユダヤ人国家であるイスラエルの国旗を半旗で掲げ、弔意を示していたのだろう。

国会の横には、ドイツ国内で迫害されたロマの慰霊モニュメントが。

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ユダヤ人以外にもナチスの迫害を受けた人が多くいることに意識的になれる場だ。

 

そして、虐殺されたユダヤ人のための慰霊碑。

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凄惨な歴史について学んだり考える機会を与える場があることは、ドイツの負の歴史に照らして、非常に重要だなと率直に感じた。

 

すぐ近くには、ブランデンブルク門

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映像の世紀で見た記憶がある。

東西ベルリンが分断されている時期にここで東ベルリン市民の暴動が起き、ソ連は戦車まで投入してこれを鎮圧しようとした。

かなりショッキングな映像で、今の平和な雰囲気からは想像できないほどだが、実際に起こったことだ。隔世の感がある。

 

しばらく散策して面白かったのは、ベルリン大聖堂だ。

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かなり立派な外観である。

正直なところ、来るまでベルリン大聖堂の存在も知らなかったが、歩いていたら通りかかった。

入ってみる。

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新しい感じの内装。シンプルな造りでありながら、どこか力強く、豪華さを感じられる。この旅の中でいくつもの教会を見ることになるが、かなり好きな部類だ。

調べてみると、元々の教会がヴィルヘルム2世の命で1905年に建て替えられたのだという。

戦争で被害を受けたが、改修され、今日の姿に至る。

片手に聖書を持ったルターの像もある。

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いかにもドイツのプロテスタント教会という感じだ。

ドームに登れるので、そこからベルリンの街中を眺められる。

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光の差し込み具合がなんとも良い感じ。絶景だ。

 

次に向かったのは、ベルリンの壁。壁画が数多く描かれたイーストサイドギャラリーという場所には、ベルリンの壁が残っているという。

なんといっても有名なのはこれだろう。

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ソ連のブレジネフと、東ドイツのホーネッカー。正直、これがでかでかと街中にある風景は異様だ。実際に目にするとイヤでも目がいくくらいのインパクトがあった。

 

ドイツ国家の上にイスラエル国旗を重ねて書いている。どういう背景で描かれた風刺なんだろう。

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いきなり日本が出てきた。

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ベルリンの壁の中に、日本への迂回路があるとは唐突で少し面白い。「日本地区」っていう言い方に違和感を感じないでもないが。

 

前衛的で、何がなんだか…

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イーストサイドギャラリーには他にも色んな絵がある。訪れた際は、お気に入りの1枚を探してみるのもいいのではないでしょうか。

 

ベルリンの駅で、カリーヴルストとビール。

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揚げ焼きにしたソーセージに、カレー粉をかけたB級グルメ。美味い!

やっぱりドイツにきたらソーセージとビールを楽しまねばね。

 

少し短い滞在ではあったが、次の目的地プラハに向けて、電車で出発。

 

プラハ編に続きます!

ヨーロッパ旅行記2(トルコ、1/28)【アヤソフィア、コンスタンティノープルの城壁】

 

1日目はこちら。www.hi-ho-meditations.com

 

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トルコ2日目。

朝早く、街に爆音で鳴り響く不思議な音楽で目が覚める。

この不思議な音楽の正体は、アザーンという。

決まった時刻に流れ、イスラム教徒に礼拝を促すためのものだ。

旅先の1日だけ、これに起こされるというのは乙なものだが、毎日起こされると流石に嫌になりそうな気がする。

ともあれ、早起きできた。

 

この日はまず、かねてより楽しみにしていたアヤソフィアを訪れる。

道中の、イスタンブールの朝の風景。

人はまだ少ない。

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雨の中を歩いて程なくすると、目当てのアヤソフィアが姿を現した。

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アヤソフィアを訪れるのを楽しみにしていた理由は、その特異な歴史にある。

この建物は現在モスクであるが、元来はキリスト教の教会として建てられた。

ビザンツ帝国時代の537年、皇帝ユスティニアヌスの命によって建設された教会は、モザイク画など独特の装飾で飾られていた。

しかし、1453年、オスマン帝国コンスタンティノープルを侵略したことが転機となる。メフメト2世はこのアヤソフィアを壊さずモスクに改造するよう命じたのだった。

かくして、教会からモスクへと用途が変更されたことで、この建物はビザンツ時代の教会の建築様式と、オスマン時代のモスクの建築様式が融合した唯一無二のものとなった。

果たしてその融合とは、どのような形でなされているのか。これを見るのが非常に楽しみだったのである。

 

いざ、内部へ。

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入口のアーチをくぐると、いきなり興味深い装飾が2つ目の前に現れた。

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天井に、キリストとキリストに跪くビザンツ皇帝の絵が描かれている。

そしてそのすぐ近くには、1800年代半ばのオスマン皇帝アブデュルメジトのサインが、モザイクで描かれている。

こうしたものが並んでいるというのが、この建物の面白さだろう。

こうしたモザイクは、ビザンツの様式であり、オスマンでは普通こうした装飾をしない。アブデュルメジトは、この建物の歴史に敬意を払い、自らのサインをモザイクで作らせたという。

歴代のビザンツ皇帝が、この建物の保存ということに強い興味を持ったことが、特色あるキリスト教文化とイスラム教文化の融合の場を作り上げるのに功を奏したと言えるだろう。

内部。

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大空間である。壁の多くが金色であるが、品があり、荘厳な雰囲気を漂わせる。

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とてつもない建築である。

キリストの両サイドにはイスラム書道の装飾である巨大なカリグラフィーが見える。

向かって右のものはアッラー、左はムハンマドと書いてあるらしい。

キリスト教美術とイスラム教美術が隣り合い、ひとつの建築物の中に共存しているというのは、ここをおいて他に類を見ないだろう。

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マリアとキリストの右側にあるのがビザンツ皇帝コンスタンティヌスコンスタンティノープルの街を作ったとされる彼は、街の模型を差し出している。

左はユスティニアヌス。彼は、アヤソフィアの模型を差し出している。

外観。

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時間を忘れるほど楽しみ、3時間ほど滞在したかもしれない。

非常に美しいので、ただ眺めるだけでも楽しめるし、内部に歴史的に面白いスポットが数多くある。是非、訪れてみてほしい。

 

次に向かったのは、金角湾にかかっているガラタ橋。この辺りはサバサンドという食べ物で有名らしいので、食べに向かう。

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200円程度だが、大きく食べ応えがある。

味付けもなかなか悪くなかった。

 

イスタンブールで最後に向かったのは、コンスタンティノープルの城壁。

前の記事で触れたように、コンスタンティノープルは強固な城壁で守られた要塞都市であった。その城壁が残っているという。

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地下鉄に乗り、市街から少し離れたその地へ向かう。

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非常に良い状態で残っている。世界遺産なので、保存に力を入れているのかもしれない。

塔の高さは20メートル近くもあり、見上げる高さである。これが7キロも続く。たしかに、攻め落とすのは容易ではないだろう。

攻めあぐねたメフメト2世は結局、最新鋭の大砲をもってこの城壁を打ち破らんとし、成功したという。

歴史上の一事件に、思いを馳せる時間であった。

コンスタンティノープルの陥落 (新潮文庫)

コンスタンティノープルの陥落 (新潮文庫)

  • 作者:塩野 七生
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1991/04/29
  • メディア: 文庫
 

 

 3日目、ベルリン編に続きます。

 

 

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ヨーロッパ旅行記1(トルコ、1/27)【ガラタ塔、トプカプ宮殿、ブルーモスク、地下宮殿】

先月1月27日から2週間くらい、卒業旅行に行ってきた。

1人でヨーロッパを巡る旅で、色々な史跡などを見てきた。写真もたくさん撮ってきたので、ここで振り返っていきたい。

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1/26、成田空港をトルコのイスタンブール空港に向けて出発。

航空会社はターキッシュエアラインズ。機内食がとても旨いしサービスが良い。

ヨーロッパ旅行のトランジットにはオススメできる。

 

機内では、『コンスタンティノープルの陥落』という小説を読む。

1453年、新興の強大国でイスラム教国のオスマン帝国が、ローマ帝国の生き残りであるビザンツ帝国の首都コンスタンティノープルを攻めた際の物語だ。

コンスタンティノープルは、金角湾という湾と巨大な城壁に守られた難攻不落の要塞都市であったが、オスマン帝国の皇帝メフメト2世は、柔軟で新しい発想を用いてこれを落とそうとする…

このコンスタンティノープルこそ、現在のイスタンブールであり、折角なのでその歴史を学んでから旅に向かおうと考えたのだった。

コンスタンティノープルの陥落 (新潮文庫)

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1/27早朝、イスタンブール空港に着く。

バス乗り場からバスに乗って1時間ほどすると、アヤソフィアとブルーモスクのあたりで降車できた。

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↑ブルーモスク
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アヤソフィア

とんでもなく大きい。

高くそびえる尖塔(ミナレットという)に、大規模で幾重に重なったドーム。

オスマン帝国が誇った権勢の大きさを垣間見た気がする。

 

この2つのモスクはイスタンブール観光のメインだから、後に回そう。まずはホテルにスーツケースを預け、町中が見渡せるというガラタ塔を訪れることにする。

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これがガラタ塔。

ここからは、金角湾や名だたるモスクなどイスタンブールの町中が見渡せるという。

余談だが、歴史的には、現在のイタリアにあるジェノヴァという港湾都市国家がここをコンスタンティノープルにおける拠点にし、海上貿易を行っていた。

先述の『コンスタンティノープルの陥落』で、オスマン帝国ビザンツ帝国の戦争の際、ジェノヴァはこの塔から傍観を決め込む。オスマン帝国との関係性の悪化を恐れたからだ。結局、オスマン帝国コンスタンティノープルを落としたのち、ジェノヴァのこの拠点も同じ運命を辿ることになるのだが。

登る。

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なるほど、美しい。

1枚目、画面左奥にうっすら見える陸地がアジアで、画面手前と橋を渡った陸地がヨーロッパだ。

アジアとヨーロッパの結節点であるイスタンブールという都市の雨白さを感じることができるスポットだろう。

再び余談だが、コンスタンティノープルは写真手前に見える金角湾がいわば天然の堀となり、ビザンツ帝国はここを封鎖することで永らくオスマン帝国の侵略を退けてきた。

メフメト2世はこの金角湾に対し、奇策でもってこれに侵入、攻略しようと試みる。

有名な「オスマン艦隊の山越え」である。

この描写は『コンスタンティノープルの陥落』に詳しいので、是非読んでみて欲しい。

さて、写真2枚目には、アヤソフィア、ブルーモスクが映り込んでいる。

ガラタ塔からはかなり離れているものの、やはりかなりの大きさに見える。

その他にもいくつものモスクが視界に入ってくるあたり、日本と比べて異世界であることを確実に感じられるだろう。

ガラタ塔の頂上にはカフェとレストランがあり、眺めを楽しみながら食事を取ることができる。そこでトルココーヒーというものを頼んでみた。粉が沈殿している濃いコーヒーが出てくる。美味だが、量が少なく喉の渇きを癒すには足りなかった。

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風景を楽しんだ後、スレイマンマスクに向かう。

タクシーを捕まえて、いくらか聞くと、フィフティーンリラ(1リラ20円だとして、300円くらい)だと言う。「安い」と思い、乗ってみる。そんなに距離もないが、狭く登りの険しい道をゆき、程なく到着する。

すると、運転手はフィフティーリラだと言い始める。しょうがないので、50リラ支払う。最初から聴き間違えたのかどうか、真相は闇の中である。

さて、スレイマンマスクへ。

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紛れもなく、イスラム建築の代表格であろう。アーチ、尖塔、ステンドグラス。いずれも堂々として、威厳を感じさせる。この規模のイスラム建築は他国に類を見ないであろう。また、無料で入ることができるのも「これはモスクであり、あくまで礼拝する場なのだ」ということを感じさせるようである。

モスクの外には、墓地がある。

印象的だったのは、ねこである。

モスクの外には、多くのねこがいた。ねこ同士で追いかけっこをしたりして、墓地には非常に平和な時間が流れていた。

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人懐っこく、膝の上に乗ってきた。

谷中霊園もそうだが、墓地でねこがのびのび暮らすというのは万国共通のようにすら思われてくる。

 

レイマンモスクを堪能したので、次はいよいよアヤソフィアとブルーモスクだということになる。

先ほどタクシーで意思疎通に失敗したから、次は歩いて向かう。

30分ほど歩いて、目的地に着くと、どうやらアヤソフィアは休みらしい。月曜日は休館日ということであった。

しょうがないので、代わりにトプカプ宮殿を見て、その後ブルーモスクを見ることにする。

この間、日本語を話すトルコ人商人がしつこい。1人で旅行する日本人観光客がいると見て、知っている日本語で声をかけてくる。自分の店でトルコ絨毯を買ってもらおうと必死である。案内してくれると言うのでトプカプ宮殿まで案内してもらったが、買う気がないのであればしっかりNoを突きつけるのがより賢明であったろう。

さて、トプカプ宮殿

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皇帝の王宮だったトプカプ宮殿は、敷地が広くどこを見ていいか迷ったというのが正直な感想だ。しかし、庭園は立派だし、一つ一つの建物に凝らされた意匠はやはり見事である。ドームの天井に凝らされた赤青の細密画は、お気に入りの一枚である。

 

ブルーモスク。

このモスクは「最も美しいモスク」の名を取るが、これはあながち間違いではないだろう。f:id:hi-ho-p:20200215005651j:image
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改修中でこそあったものの、見るものの目を奪う美がそこにはある。

とくに、青い光で照らされたステンドグラスはここでしか見ることのできない絶妙の色合いを放っている。

厳かな雰囲気のもと、ムスリム達はここでアッラーに近づく思いがするのかもしれない。

 

その後、地下宮殿なるものがあるというので、そこに向かう。スレイマンモスクから徒歩10分弱。

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どうやら地下に設置された貯水池らしい。

調べてみると非常に古い遺構で、ビザンツ皇帝ユスティニアヌス(在位527〜565年)の頃のものらしい。

地下の薄暗い雰囲気と、1500年弱の歴史がロマンを感じさせる。

余談。この地下宮殿を見ている間、高校生だと言うトルコ人が親しげに日本語で話しかけてきた。日本に留学していて、筑波のあたりに住んでいると言う。学生証も見せてくれたので、心を許し、地下宮殿を案内してもらった。

ここまではありがたかったが、やはり親切心だけではなかったのだろう。彼の親族がやっているという土産物屋に連れて行かれ、何か買う羽目になった。トルコ石など高級品を勧めてきたが、結局1つ150円くらいの小さな小物入れを2つ買って、店を出る。

商魂たくましいと褒めるべきか、否か。

ともあれ、今後の旅中、「安易に親切心に乗るべきでないな」という学びにはなった。

 

その後は街を散策し、ホテルに一度戻り、夕食にいい時間になったので、夕食を探す。

ホテルの近くに、賑わっているお店があったので、そこでトルコ料理を食べる。

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ANTAKYA Restaurantというお店で、ケバブの盛り合わせを頼む。

柔らかくクセがなくて食べやすいラム肉と、付け合わせで出てくるパンが美味しかったのが特に印象的。

 

旅行の初日はこんな感じ。

2日目に続きます。

 

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765プロのソフトパワーに見る新作スターリットシーズンの可能性と、そこに期待すること

新作ゲーム、スターリットシーズンが発表された。

 

詳しいことはまだ分からないが、765プロのアイドルだけでなく、他事務所のアイドルが出るという。

個人的な心情としては、765プロの13人をメインにして新作を作ってもらいたいという気持ちもある。しかし、現実的には(プラチナスターズ・ステラステージの売り上げを見ても分かる通り)765単独でのゲームは多くの人にプレイされることなく終わってしまうだろう。

その点を勘案すると、他事務所のアイドルを登場させ、そのアイドルを担当するP達に、765プロのアイドルに接してもらうという戦略は有効だろう。より多くの人に765プロのアイドル達の魅力を感じてもらうことができる。

また、こうした「他事務所のアイドルの登場」は、765プロが積み上げてきた歴史、765プロの持つソフトパワー国際政治学の概念。興味ある人は調べてみてください)によってこそ可能になる。「THE IDOLM@STER」というブランド、アイマスに底通する価値観や世界観は、765プロが歴史を積み上げていく中で生まれてきた。後発で生まれてきた他の事務所の展開は、少なからずそうした「アイマス」の価値観を共有し、765プロと接点を持つ中で生まれてきたのだ。765プロはその意味で、他事務所との紐帯を持っていると言える。こうした歴史性、「THE IDOLM@STER」ブランドの旗手としての正統性を持つ765プロだからこそ、他の事務所のアイドルをゲーム中で違和感なく、単なるコラボ以上のものとして登場させることができるのである。

こうしたソフトパワーは、今の765プロにとって素晴らしい資産というべきだろう。展開に閉塞感がある中で、それを打破する一手としてこの資産を使うことはとても良い戦略に思われる。

 

ただし、結局重要なのはアイドルを丁寧に描く姿勢とゲームとしての質の2点だ。

いくら多くの人に765プロのアイドルに接してもらえたとしても、彼女たちの持つ魅力の伝わらないような描き方をしてしまえば全く意味がない。また、プラチナスターズのような単なる音ゲーでは、作業と化し、プレイヤーは楽しむことができないだろう。以下にあげるようなことが求められるのではないか。

・アイドル個人を個人としてしっかりと描くこと

・その上で他のアイドルとの触れ合いの中で見える新たな魅力や成長を描くこと

・ゲームとしては、(アケマスのように)緊張感あるプロデュースができること

 

このようなことが満たされたゲームであれば、765プロはまた、新たなステップを踏むことができるだろう。

楽しみに待ちたいと思う。

 

MA4カバー曲リクエスト

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春香

春香に最愛を歌って欲しいのは、ドームエンドの別れを表現できる歌だと思ったから。

でも、仮にそれを歌える彼女なのだとしたら、それはあくまでドームライブを終えた後の彼女であり、そんな彼女に対してこの曲を歌って欲しいと望むこと自体が欺瞞であるかもしれない。

 

千早

My Revolutionは、冬の朝の空気を突き抜けていくような、千早の冷涼感ある声に良く合うのではないか。

歌詞もまた良い。自分自身の内面と向き合い、道を拓いていく。「きっと本当の 悲しみなんて 自分ひとりで癒すものさ」というフレーズ。これは彼女の中で、どう理解され昇華されるだろうか。

 

伊織

いきものがかりのスピリッツ。かつて日テレのプロ野球放送のテーマ曲として使われていたこの曲は、プロという輝きのステージでの闘志・プライドを遺憾なく表現した一曲だ。

自分自身に対する高いプライドと、負けん気。憧れの舞台で輝き続けようという強い意志。まさに伊織が歌うにふさわしい歌だろう。

可愛らしい曲を歌うことの多い伊織だが、この曲は彼女のカッコいい内面の在り方をファンに垣間見せ、新たな境地を開くのではなかろうか。