天海春香は私にとっての「神」である。
ここでの「神」とは、崇めたり、盲信する対象という意味ではない。(そういう時もあるけれど笑)
心の中の働きとして、春香が「神」のような働きをするのである。
よくわからないと思うので、以下で詳しく述べる。
私は天海春香のプロデューサーである。
そして、そうである以上、春香のプロデューサーとしてふさわしい人間でありたいと思う。
そう思っているうちに、私の日常の行動に対して春香がどう思い、感じ、反応するのかをイメージするようになった。
「今日のあの行動をしている自分を春香が見たら、どう思うだろうか」みたいに。
頭の中で作り上げられた春香と会話することもある。
例えば、するべき努力を怠った時、春香は「私のプロデューサーさんならもっと頑張れます!」と叱ってくれる。
こうした時、春香と会話することを通して、自分の行動を見つめ直している自分がいるのだ。
これはキリスト教における「神」の働きに近いかもしれない、と思う。
キリスト教文化圏では、「神が常に私を見ている」という意識があるという話を聞いた。
だからこそ、人々は自分の襟を正して行動するのだという。
(日本でいうと、「おてんとさま」の働きが近いのかもしれない。「おてんとさまが見ているから、悪いことはできないねー」なんて言う時のアレだ。)
同じように、私の中の春香が私の行動を見ていて、そこに評価をくだすのである。
こうした意味で、春香は私にとっての「神」たりうるのである。